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08年の2月に書いた小説が出てきた。最初にBASARAはまってた頃。この頃ひたすら歴史小説時代小説読み漁って創作戦国とかもはまってたので歴史小説を自分で書いてみたかったようです
題材が長曾我部元親の初陣までのところでした
一応図書館で開架図書から閉架図書まで大量の資料読んで捏ねくって纏めたんで文章力はともかく書いてる事自体は全て事実のはず。
元親の幼名を千扇丸だと勘違いしてたので扇と蝙蝠(かわほり/扇子と似ているが別物)、後に鳥なき島の蝙蝠と呼ばれる事になる元親を引っ掛けようとしたんですが正しくは千翁丸でしたね。幼名。

文章が稚拙どころじゃないですがなんとなく勿体無いので置いといてみます。興味ある方は続きから本文。

鬼国の扇


 一五三八年。土佐、岡豊(おこう)城。
 秦氏を祖とする家である。さほど広いとはいえない城内、その中においては他の部屋よりも大分広い一室に、男は座っていた。名を長曾我部国親。長曾我部家の第二十代当主である。

「千翁丸」

 国親の呼ぶその名は、この家の跡継ぎに与えられる世襲の童名で、膝の上の子供に向けられていた。膝の上には、長男の弥三郎が座っている。国親はその頭を優しく撫ぜ、幼い我が子に語りかけた。

「千翁丸、よく育てよ」

 弥三郎(千翁丸)はにこにこと父の顔を見上げている。

「強く育てよ」

 国親は幸せに思った。ああ、きっとこの子はこの家をもっと強くしてくれるだろう。あの城も取るだろう。自分と妻の子供なのだから。国親の傍らで、妻の祥鳳も微笑んでいた。……



 土佐は瀬戸内海に浮かぶ四国の、南西を占める国である。東西に長く、鳥や蝙蝠が羽を広げたような形をしている。太平洋に向かい、海を抱くような姿をした南岸には、土佐で最も美しい湾である浦戸湾がある。背には四国山脈。気候は暖かで自然は豊か。本州のように豊葦原の瑞穂国とまでは行かずとも、田畑には豊かな実りがある。土佐の武士はそのような風土の中で生まれ育っている。
 粗野で豪放な者が多く、農事に携わりながら武の道に励む。その割に今日から遠いゆえか考え方が古く、いまだ鎌倉風の武士の考えが生き残っている。生を恥とし、死を美徳とする事などがその筆頭だ。
そのような気風の中にあって、弥三郎は浮いていた。


「どうやらうちの若君は 姫若子(ひめわこ)らしい」

 そのようなことが家臣たちの間で囁かれるようになったのはいつ頃からだったか。

「みな表立っては言いませぬが、兵たちですら弥三郎のことを姫若子と侮っているようでございまする」

 祥鳳は形の良い眉をひそめてため息をついた。

「……どうにかならぬでしょうか」

 伺うように夫を見やるが、国親はかぶりを振った。

「どうにもなるまい。あれは秕のようなものだ、いくさをする気が全く無い。引き出したところで嫌々する稽古では上達もすまい、…元がいくさを厭うておるのだからな」

 祥鳳は頷き、弥三郎が独りで遊んでいる部屋のほうに顔を向ける。数部屋を隔てているので直接姿が目に入るわけではない。

「あの子は古事記や日本書紀を好んで読んでおります。……武家で無い家に生まれておれば、その道で偉くもなれましょうものを……いえ、まず時代を間違えましたか。今は武家の世、公家などは脇に押しやられておりますね」

 落胆したように首を振る。

「そもそも長子、世継ぎに生まれたことがあの子の不幸でございました。そのような立場に生まれてしまったばかりに、みながあの子に期待をします。そして落胆し、責めます。嘲ります」
「祥鳳」

 恨む声になってきた妻へ、国親は宥めるように声をかける。祥鳳はその声を拒み、一言だけ続けた。

「殿、私には弥三郎が不憫でなりませぬ」
「……だが、確かに幸ではなくとも、不幸とも限らぬ。多少の変わりはあろうが、生まれ一つで人生が決まるなどという道理は無い。」

 とはいえかく言う国親も、土佐という京から離れた地にあって、「天離(あまざか)る夷辺(ひなべ)の島」とまで呼ばれる程のこの地の田舎さなどに、悔しさを感じないではなかった。もっとも、それが「あまりにも権力から遠い」「この距離が無ければ」「おれも京に生まれてさえおれば」と、そういう感情として形になるのは弥三郎元親の代である。
 (実際その遠さゆえに土佐は古来より京の政治犯の流される流刑の地として用いられており、蛮族の住む「鬼国」として都人から恐れられた。長曾我部氏も、古墳時代に朝鮮経由で中国からやって来た有力な渡来人の一族・秦(はた)氏の末裔である。秦氏の子孫・能俊が土佐へと移住し、国分川下流、穀倉地帯として名高い香長平野にある長岡郡宗部郷(宗我部郷)に腰を据えた。そしてそれを機に改姓することにし、地名を取って曾我部と名乗るようになる。が、そこにはすでに曾我部氏を名乗る土着の一族がおり、長岡郡の1文字から、長宗我部と称するようになった。元々いた一族の方は香美郡の1文字を冠に香宗我部と改姓する。後に弟の親泰が継ぐ土佐の七雄の一つである。)



「豊後」

 泰泉寺豊後は長曾我部の家老である。彼は時折弥三郎に兵法を教えようとすることなどもある。実戦はともかく兵法という学問においてなら弥三郎もほんの少し興味を持つようだ、と豊後は気付いていた。

「何でしょうか、千翁丸様」

「……。豊後」

「はい」

 弥三郎は縁側に座っていて、指で庭に咲いていた花を弄っている。白い指だ。外に出ずひとり座敷で遊んでばかりいるからだろう。言うか言うまいか迷っているようで、口を開きかけてまた閉じてしまう。
(無口なお方だから、)
喋るのがそれほど得手ではないのだろう、と豊後は静かに待った。……やがて花を弄っていた手が止まり、花を縁側の上に置く。

「千翁は」

 所在無げにぶらぶら揺れていた足もぴたりと止まった。

「千翁は、千翁が家を継いだら長曾我部は滅びる、と言われている事を知っておる」

 ああ、と思った。この家に仕える武将たちは、そのような心無いことまで言い出すようになっていた。豊後自身それを聞き、不遜だ、と感じていたが、上から力で押さえつけるのも家の平和のためにはうまくない。国親に沙汰を仰いではいたものの、どうしたものかと案じていた。

「豊後は、千翁には家は継げぬと思うか」

 千翁に継げぬなら、弟(三男。後の親泰)にでも継がせればよい。弟ならみな、納得するだろう。
 弥三郎はそう呟いて俯いた。しかし豊後は、それは無理だと思った。弥三郎は知らぬことだが、国親はいずれ親泰を香曽我部家に養子に出したい、と言っている。なんにせよ国親には長宗我部家を元親以外の兄弟に継がせる気など毛頭無い。

「国親様は千翁丸様に継がせる気でいます。豊後も千翁丸様が継ぐべきだと思います。兵法や武道は、いずれ習えば宜しいのです」

 励ますつもりでそう言ったが、本心からの言葉でもある。この子はまだ幼い。体も、心も、何もかも。なれば何ということは無い、これから学べば良いだけではないか。そう自分に言い聞かす。そうだ。自分がこの若君を教えれば良い。
 弥三郎は少し笑って、萎れかけた花を手に持った。

「…千翁は、母上に花を差し上げてくる」

 言うなり覚束無い足取りで駆けて、いなくなってしまった。豊後はそれを見てちょっと困ったような顔をしたが、その胸には仄かな熱意が萌していた。


――時は経ち、永禄三(西暦一五六〇)年五月。
 弥三郎は元服して、管領細川晴元の一字を戴いて元親と名乗っていた。この時元親は数え年で二十三歳、初陣を控えた晩のことである。

「豊後」

(ああ)
 大きくなられた、と豊後は思う。呼ぶ声の主はあの時と同じだ。相変わらず書を好み、家臣や武将からは「姫若子」と蔑まれてはいるが、明らかにあの頃とは違う。弱々しい、女子と大差無い見た目の童子ではない。何より目に力がある。
(それを見ていないのだ、他の者らは)
 見誤れば、やられる。子犬が狼に吠え掛かるごとく、力の差を考えずに手を出せば食い殺される。それがいくさの常だ。
(本山の軍勢が愚かならば、きっとそうなろう)
 恐らく敵である本山勢も元親のことは聞いているだろう。武者たちの間で流れているごとく、「長曾我部の嗣子は腑抜けの姫若子よ」と笑っているのだろう。ああそうだ、笑っていればいい。

「……豊後、聞いているのか?」
「はっ」

急ぎ居住まいを正す。背の伸びた長曾我部の跡継ぎを見上げ、豊後は眩しそうに目を細めた。決して彼が背に負った月光のせいだけではない。

「…泰泉寺豊後、若君が逞しく成長したのに驚き入っておりました」

が、元親はそれを聞いて眉間にしわを寄せた。

「それは皮肉か」
「心からの言葉にございます」

 あまりに長く姫若子などと言われ続けてきた為、自分自身に劣等感を持ってしまっているらしい。
(…お労しいことだ。ご自身の成長に気付いていらっしゃらない)
 豊後は胸を痛めた。物理的な痛みの無い其処を、それでも軽くさする。

「……まあよい。他でもない豊後に聞きたいことがあり、呼んだ」
「何なりと」

 豊後の即答に元親は少し面食らったように言い淀んだが、すぐ口を開く。

「おれは、いくさに出たことがない。槍を使ったこともない」
「はあ」
「笑うか」
「いえ」

 仕方の無いことだ、と思う。事実彼とは刀の稽古のひとつもしたことが無かった。
(そのようなものでも平気でいくさに連れ出すのだから、思えば恐ろしいことだ)
 それが戦国のならいである。とはいえ元親は、ごく普通の武家の子供であれば有り得ないような問いを、至極まじめな顔で豊後に投げかけてきた。喧嘩の経験がも無いせいで「戦い」がどういうものかも体の芯には染みていないだろう。にしても、これほど時間の無い状況の中ではあまりにもあっけらかんとしている。
(この方の良いところでもある)
 口の端に笑みが上ってきた。この若君は、初めてのいくさ場で一体どのような槍働きを見せるだろうか。

「大将というものは」

 にわかに真剣になった声音を聞き、元親は背を正した。……奥義でも授けられると思っただろうか。それを見て豊後は少しおかしくなった。

「大将というものは、でございまするよ、元親さま」
「ああ」

やや硬い面持ちで頷く。

「どっしりと構え、先に駆けず、決して逃げず、絶対に臆せずにいるようにすべきです」
「……」

元親はがっかりしたように肩を下げ、表情を緩めた。

「奥義でもあるとお思いでしたか」
「ああ。おれは昔から、豊後は何でも知っていて何でも出来るのだと思っていた。何の秘訣を教えて呉れるかと思ったら、今のおれでも出来ることではないか」
「到底出来ないようなことをお教えしてどうします」
「あるのか」
「いえ」

 元親は愉快そうに笑った。これはいささか豊後の方で親しみが過ぎるような気もするが、土佐では家臣が普通に主に話しかけてしまうようなところがある。決まりが無いわけではないのだが、緩いのだろう。

「槍はどうだ」
「腹と目を目掛けて突けば宜しいでしょう」
「そうか、それなら出来る」

 いくさの真似事すらしたことが無いゆえ、多少甘く考えているのかもしれない。それでも、昔よりは自分に自信を持っているのがわかった。弟は二年前に香曾我部を継いでおり、香曾我部親泰を名乗っている。元親も、もう兄弟がどうなどとは言わない。豊後はそれを頼もしく思った。
 なるほど他の武者と比べれば色は白い。浅黒く日に焼けたものの多い土佐では異様である。荒くれ者の兵士どもの中では今でも姫若子のままだろう。だが、中身は確実に変化しているのだ。

「若も、此度のいくさでは将でござる。存分にそのお力を発揮なされませ」

月光が、朗らかに笑む元親の白い頬を縁取った。



 五月二十六日。初陣当日。
 この日は天気がひどく荒れていたが、激しい風の中僅かな時間で大久保治定治める長浜城を陥とすなど、幸先良く進んでいた。日が暮れる頃にもなると風がやみ、雲が風に吹き散らされて美しい星空になった。
――ときに本山茂辰(しげとき)は、土佐で最も勢いがあると言われており、現在の高知市にある朝倉城を治めている。その茂辰が城をうって出たと聞き、国親は喜んだ。

「茂辰め、かかりおった」

 馬上の国親は、後ろに随っている元親と親貞に笑みを向けた。自分の兵が長浜城をあっさり陥としたことに加え、戦局が思うようにいって嬉しいらしい。二人の息子に言う。

「御畳瀬に出るぞ」
「浦戸湾を過るのですか?」

「疲れたか」

国親が問うと、親貞は首を横に振った。

「いいえ」

元親が晴れやかな顔で笑っている。

「行きましょう」


 未明。長曾我部軍は御畳瀬に上陸して西進した。国親は長浜の慶雲寺前に陣を構えた。対する本山勢は、大久保治定の退却した先である木津賀に集結し、東進。二十七日になって午前八時に、長浜城下の高知平野・戸ノ本で両軍が激突した。白兵戦となったが、一時間ほど戦うとお互いに兵を引き、戦闘隊形を作り直してから再び兵を出す、の繰り返しとなった。

「らちがあきませぬ」

 親貞が国親にぼやく。

「お互い、既に多くの犠牲が出ております。これ以上徒にこのようないくさを続けても消耗するだけでしょう」

 すでに戦闘を始めてから四時間は経っていた。親貞も握り飯を片手に持って食らっている。

「わかっておる。次だ」

元親の方はといえば、二人の会話を聞きながら黙々と、やはり握り飯を食らっている。

「本山とて消耗しているのは同じよ。次で、決まる」

 じっと、確信めいてそう言う父を見る。やがて、自分の手に視線を移すと、握り飯の残りを呑み込んだ。



 十二時を過ぎて、両軍消耗したまま五回目の衝突である。最初はお互い三千五百騎程いたのだが、今ではもうかなり減っている。
 元親は、(土佐特有の)小さな馬に乗り、戦場を駆けていた。馬上から槍を振るう。豊後から教わったとおりに、である。外国にも例があるが、長柄の武器は初心者が良く使う。例えばインドの農民の反乱では、長柄の斧のような武器が使われた。いささか接近戦や狭い所での戦闘に弱いという欠点があるが、リーチが長いので敵に近付かれにくい。それに刀であれば刃筋が乱れると斬りにくいが、槍は突き込めばいい。斬るにしても振り回すように薙ぐので、その勢いであまり刃筋は乱れない。(とはいえ実際の戦闘では叩く武器として使われることが多かったが。)刀では、隙が大きいため突きは「死に太刀」と呼ばれるが、槍だとその柄の長さもあってか戻しやすい。西洋のランスなどの例があるように馬上武器としても使いやすく、初心者にはふさわしい武器と言えるだろう。

(目と。……腹、だ)

 頬に一滴の血が跳ねた。群がる兵。幾人かを槍で突き殺す。人間、を殺している自分が少しだけ恐ろしい。この手で、上等ではない薄っぺらな鎧、その隙間を、その中の筋肉と柔らかな内臓を、大きくて硬い魚卵のような眼球を、突いて、裂いたのだ。その感触が一瞬だけ手の中に残り、すぐにまた兵が来て忘れてしまう。
(突き手が三分。引き手が七分)
 絡めとられぬよう、突き出した槍を素早く引く。槍はそれが一番怖い。直槍の穂先に切られた血溝を伝わって、よくわからない液体が地面に滴った。騎馬を少しだけ引き、熱く荒い呼吸を整える。
(……おかしい、のか。よくわからない…)
 激しく動いているためばかりではない、体の中が熱かった。ひどく血が滾っている。恐ろしい、とも思っているのに、この戦いに高揚を覚えている自分がいる。働きこそ一般兵と大差が無いが、
(そうか)
 この軍で進むなら負ける事は無い、何故か根拠も無くそう思えた。体は少し冷めても、心臓はふつふつと煮えている。

(これが土佐の血か――――…この国の、土佐の、荒武者の、)

そして長曾我部の、父国親の。
元親はふっと笑い、騎馬を駆った。
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